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更新日:2023年7月1日
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パタンナーをしながら本市オリジナルアイテムの制作や、洋服の商品開発など、幅広く活躍する四元麻理さんにインタビューしました。
父親が大工だった影響なのか、小学生の頃からものづくりが好きで家庭科や図工が得意でした。絵を描くことも好きで、姉の絵や図工の教科書にある写真など真似をして絵を描いたことを覚えています。中学校では本格的に洋服に興味を持ち始め、自分で洋服を作ってみたりなどファッションやおしゃれに気を遣うようになりました。
高校はファッション系の学科のある鹿児島女子高等学校に進学し、1年生の時は基本的な衣・食について学び、2年生からは主に服飾を専門的に学ぶコースを選択し、授業や学校行事のファッションショーに向けての作品作りを通して、服飾に関する知識や興味を深めていきました。その経験からもっと洋服のデザインを勉強したいと思い、高校卒業後は、東京の服飾専門学校へ進学しました。
デザイナーを目指し進学した専門学校ですが、基礎的なことを学ぶ1年目で周りの学生との才能の差を感じデザイナーは自分には向いていないのではないかと感じるようになりました。
高校時代、進路相談の際に担任の先生から言われた「四元さんはデザイナーよりパタンナーに向いているのでは?」という言葉がきっかけとなり、パタンナーという職種についての勉強を始めたところ、当初目指していたデザイナーよりも楽しく自分に合っているなという手ごたえを感じ次第にパタンナーを目指すようになりました。今思い返すと、先生は私の適性や特徴を考えてくださっていたのだなあと感じますし、そのお言葉があったからこそ今の私に繋がったのだととても感謝しています。
専門学校卒業後は、パタンナーとしてアパレルメーカーやブランドに就職しましたが、東日本大震災をきっかけに家族と過ごす時間を大事にしたいと思い、一旦地元の鹿児島に帰って来ました。鹿児島ではパタンナーで生計を立てていくことの想像が出来ませんでしたので、とりあえずファッションに携わる仕事が出来れば何でもいいと思い働き始め、この時パタンナーの仕事からは離れてしまいました。
その後、知人の繋がりから海外に行き日本向けの輸出アパレル商品の企画・生産・仕入れなどアパレル全般の仕事をしていたのですが、この時に離れていたパタンナーとしての仕事も再開しました。これがきっかけとなり少しずつフリーランスという働き方が芽生え、鹿児島に戻って正式にパタンナーとして独立し、今に至っています。
基本的にはお店に並んでいるアパレルブランドのお洋服の型紙を作っています。パタンナーという言葉を初めて知る方も多いと思いますが、分かりやすく建築で例えると設計士にあたります。建築は建物を作る前に設計図を描き、それを基にミニチュアの模型を作るときがありますが、パタンナーも同じ工程を踏みます。デザイン画を基に洋服の型紙(設計図)を作成し、それを基に実際の生地で作る前に、仮の生地で仕立てや仕上がりイメージを確認します。
この作業で仕立てたものをトワルと呼ぶのですが、トワルチェックを1~3回重ね実際の生地でのサンプル作成に進みます。ここから実際の生地での制作は一旦縫製工場に移るのですが、仕上がったサンプルの形やシルエット・縫製の確認などをし、修正を指示していくのもパタンナーの仕事になります。
お客様と共にこの工程を2~3回行い、最終店頭に並ぶ商品の型紙を完成させていきます。ご依頼があれば実際の洋服の縫製までお受けすることもたまにありますが、基本的にデザイン画を形に起こすことがパタンナーの仕事になります。
独立後はパタンナーとしての仕事が主で、現在のように雑貨の企画や製作は全くと言っていいほどしていませんでした。鹿児島に住んではいるものの、東京など県外からの依頼の仕事が主でしたので鹿児島との関わりはほとんどありませんでした。
それもあってか、地元である鹿児島に何かしら貢献できればという気持ちを持ちながら日々を過ごしていました。ちょうどその頃、大河ドラマ"西郷どん"の放映前でブームになっていましたので、関連して何かしらの雑貨を作ってみたらどうかと知人からの勧めもあり雑貨企画・製造を始めました。展覧会に出展したところ好評いただき、特に南風扇(HAESEN)はかごしま新特産品コンクールで鹿児島市長賞を受賞することができました。
最近では鹿児島市のマグマシティPRキャラクターであるマグニョン関連のグッズや"マグマシティ"のロゴマーク入りのアイテムを作りました。鹿児島市の担当の方からお話をいただいた時には、広く"マグニョン"を知ってもらうためにはどうしたらよいのか、などスタッフと意見を出し合い、私たちらしさを活かし可愛いと言っていただける商品企画を進めました。
パタンナーはデザイナーがデザインしたものを実際の形に起こすのが仕事で洋服を作る過程では、洋服の仕上がりはパタンナーの技術が"要"ともいわれています。服作りのあらゆる場面を考えながら修正を重ね、実際の形として仕上げていく過程がとても好きで、やりがいと感じています。
その過程の中では、生地やトレンド、縫い方など色々な知識が必要となるので、自分の知識や技術だけではうまくいかないときには、他の方にアドバイスをもらうことも多くあります。
修正を重ね、仕上がった商品がお客様の手元に届き喜んで下さった姿を見たときは本当に嬉しく感じますし、何より私自身が一番パタンナーという仕事を日々楽しんでやっています(笑)
東京で企業パタンナーをしていた時にふと、"私ロボットみたい"と感じた時がありました。日々仕事に追われ、生産性や効率を求められた中でのモノづくりは色味がなく楽しいといえるものではありませんでしたし、モノを作っている感動や実感がありませんでした。
そういったことも経験しているからこそ、モノづくりをする中で鹿児島の環境の良さなどをとても感じます。自然に恵まれ人も環境も温和。毎日せわしなく同じことを繰り返すのではなく、程よくリフレッシュでき、モノづくりに真摯に向き合える環境があります。そういったところが私にも合っていますしとても魅力に感じています。あと桜島からのパワーも欠かせない魅力の一つです。
本当に心の温かい方が多いなと感じています。鹿児島に住んでらっしゃる方が「鹿児島いいよね!」ってみなさん仰っていてとっても微笑ましいです(笑)。桜島の灰が降ることも、他にはなくインパクトがあって良いですし、あと何といっても食べ物もお酒も美味しくて大好きです!
雑貨類については既に鹿児島と紐づいたものが出来ていて、ありがたいことに最近では企業様や個人の方からもお声をいただくことが多くなってきました。ただM4210はアパレルメーカーとしての側面も持っていますので、今後はやはり洋服やアパレル商品を通して鹿児島の魅力発信のお手伝いができればよいなと思っています。
ファッション業界を目指す方達は、都会に行かなければ仕事がないと思いがちですが、最近は通信環境も発達し場所を問わずいろんな活動できるようになりました。
そういう意味でも、ファッション関連を目指す方々が技術や知識を習得できる場所や、活躍できる場所、そういった土壌づくりを鹿児島でできればよいなと感じています。次の世代を担う人たちに地元鹿児島で好きな仕事で輝けることを伝えていきたいです。
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