更新日:2020年9月29日
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「よしだ」の「よ」の字を図案化したもので円型は町の安定と町民の和を表し、右に伸びる一本の爪は町の発展と向上・意欲をあらわし、躍進吉田の象徴としました。
もくせい
吉田町民憲章(昭和47年11月1日)
わたしたちは、吉田町民であることに誇りと自覚をもち、みんなで住みよい町をつくるため、この憲章を定めます。
健康:わたしたち吉田町民は、心身をきたえ健康な町をつくります。
勤勉:わたしたち吉田町民は、みんなよく働き豊かな町をつくります。
協力:わたしたち吉田町民は、心をあわせ美しい町をつくります。
教育・文化:わたしたち吉田町民は、教育をすすめ伸びゆく町をつくります。
平和:わたしたち吉田町民は、きまりを守り明るい町をつくります。
吉田町は、鹿児島県の中部に位置し、鹿児島元標より北16.1kmの位置にあって鹿児島郡に属しています。南は鹿児島市、西は郡山町、北は蒲生町、東は姶良町に接し、長方形をなした町です。
東は赤崩を盟主とする赤崩火山峰で、西は花尾山及び雄岳を盟主とした諸連峰がそびえ、これらの高峰を源として思川・本名川・稲荷川の渓流が山間を縫って鹿児島湾に注いでいます。
自然環境は、平坦27%、山間及び傾斜地73%で地形的に制約を受けていますが、北地区は水田地帯、南地区は畑地帯で、土地は概ね肥沃で各種農産物の生産は良好です。
吉田町は、古代大隅州吉田院と称し、源平時代は一時、源為朝がこの地を領し、ついで大隅国分八幡宮の神領となり、吉田清道の領地となったのち、永禄5年(西暦1562年)島津氏が吉田を治めるようになります。
天正15年(西暦1587年)姶罹郡より鹿児島郡に編入、現在の大字はおのおの村と称し、役場を城内においていました。
明治22年、市町村制の実施に伴い吉田郷を吉田村と改称し、役場を本城に移転しました。
また、昭和47年11月町制施行により吉田村を吉田町に改称し、役場庁舎を現在の位置に移転しました。
その後、平成5年8月に未曾有の大水害により大きな打撃を受けましたが、全町をあげて災害復旧に取組み、これまでにも増して飛躍的な発展を遂げてきました。
平成16年11月1日に1市5町(鹿児島市、吉田町、桜島町、喜入町、松元町及び郡山町)と市町村合併を行うこととなり、その長い歴史に幕を降ろすこととなりました。
項目 |
吉田町 |
備考 |
|
---|---|---|---|
面積 |
54.79キロ平方メートル |
|
|
世帯数 |
4,001世帯 |
平成12年10月1日 |
|
人口 |
合計 |
11,736人 |
|
(男) |
5,596人 |
||
(女) |
6,140人 |
||
年齢別割合 |
15歳未満 |
2,060人(17.6%) |
|
15~64歳 |
7,357人(62.7%) |
||
65歳以上 |
2,316人(19.7%) |
||
人口 |
合計 |
11,871人 |
平成16年9月30日現在 |
(男) |
5,693人 |
||
(女) |
6,178人 |
||
年齢別割合 |
15歳未満 |
1,799人(15.1%) |
|
15~64歳 |
7,616人(64.2%) |
||
65歳以上 |
2,456人(20.7%) |
||
就業者数 |
|
5,294人 |
平成12年10月1日 |
第1次産業 |
5.3% |
||
第2次産業 |
29.1% |
||
第3次産業 |
65.5% |
||
市内純生産 |
|
183億3,193万7千円 |
平成12年度 |
第1次産業 |
8億2,346万5千円 |
||
第2次産業 |
47億1,095万5千円 |
||
第3次産業 |
136億6,878万9千円 |
||
普通会計 |
歳入決算額 |
42億1,296万3千円 |
平成15年度決算 |
歳出決算額 |
40億5,554万5千円 |
||
市・町税収入 |
歳入決算額に占める割合 |
19.8% |
|
普通交付税 |
普通交付税額 |
17億8,300万円 |
|
地方債現在高 |
地方債現在高 |
48億4,278万円 |
|
一人当たり地方債現在高 |
40万9,537円 |
||
主要財政指標 |
財政力指数 |
0.32 |
|
経常収支比率 |
79.1 |
||
起債制限比率 |
9.3 |
吉田町郷土誌(平成3年3月発行)をPDFファイルで公開しています。
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