鹿児島は日本の近代洋画の発展に貢献した黒田清輝や藤島武二、和田英作をはじめ、版画の橋口五葉、彫刻の新納忠之介、工芸の宮之原謙など多くの優れた作家を輩出しており、当美術館ではこうした郷土作家の系譜コレクションを収蔵しています。
紙本墨画、128.0×237.0cm 鹿児島県指定文化財
探元は延宝7(1679)年、今の鹿児島市平之町に生まれた。狩野探幽に私淑し、雪舟に代表される室町水墨画なども修得、薩摩では比類なき名手として称えられた。本図には、雲の間から姿を見せる富士の威容が描かれている。右下方に力強く引かれた稜線が画面を引き締めており、探元の剛直な気質を表している。
油彩・キャンバス、72.8×60.6cm、鹿児島市指定文化財
描かれたアトリエは、黒田が学んだパリのコラロッシ画学校の師、コランの教室であろう。半裸のモデルを中心に、熱心に筆をとる画友たちを逆光の中でとらえている。光の動きをテーマに、色調は明るく清潔で、いくぶんロマンチシズムをたたえた画面は、外光派の画家としての個性と才能を十分に発揮している。
油彩・キャンバス、72.6×100.0cm
朝熊(あさま)山から鳥羽を臨む悠然とした海の日の出を描く。昭和3(1928)年、昭和天皇の即位記念作を依頼された藤島は、日本を象徴する旭日を主題に決め、10年余り理想の日の出を求め国内外を取材した。本作もその取材先で描いた習作をもとにしたと考えられる。簡潔な構図と力強い筆致に藤島の画風が表れている。
油彩・キャンバス、80.3×65.2cm、鹿児島市指定文化財
大正3年(1914年)の第8回文展に出品された「赤い燐寸」は随筆家渋沢秀雄がモデルである。全体に温雅で優美な画風の多い和田作品の中にあって、鮮烈な色彩と陰影のコントラストが印象的である。炎天の中でモデルと対峙(たいじ)し烈々たる気迫で絵筆をふるう画家の姿が浮かんでくる。
油彩・キャンバス、35.0×27.0cm、鹿児島市指定文化財
有島は東京外国語学校イタリア語科卒業後、藤島武二に1年ほど絵画指導を受け、イタリアへ留学した。しかし、古典的な教育に飽き足らず、翌年フランスへ移動する。印象派風の色彩とタッチで描かれた本作は、フランス留学中に描かれたものである。帰国後、有島は滞欧中に見聞したセザンヌらポスト印象派を日本へ紹介した。
油彩・キャンバス、103.5×104.5cm
東郷は、有島生馬のすすめで大正5(1916)年の第3回二科展に初出品し、「パラソルさせる女」で二科賞を受賞した。未来派に影響を受けた幾何学的な色面構成の作風は、同時代の画家たちに大きな衝撃を与えた。同様の作風を示す本作は、翌年の第4回展出品作であり、現存する東郷の未来派風作品の中でも最大のものである。
油彩・板、182.7×184.0cm
山口は昭和30年前後、黒を背景に黄や赤の長い矩形(くけい)を構成的に組み合わせた作品を盛んに描いた。本作には当時の作風が典型的に表れている。フリーハンドのゆがみからは、冷たい構成的な印象よりも、作家の息づかいのようなものが伝わる。自然の中にあるリズムや秩序を深い洞察と感性によってとらえた表現である。
木版・紙、51.0×36.3cm
本作は、41歳で夭折(ようせつ)した作家の最高傑作との評価を得ている。雲母摺(きらず)りの背景から浮かび上がるあでやかな女性像は、歌麿研究から生まれたものであろう。西洋画で鍛えられた人体表現、精緻を極めた髪の表現や、手鏡に見られるアール・ヌーボー調など、五葉独特の近代的浮世絵が清冽な気品を匂い立たせる。
木、183.5×64.0×58.0cm
新納は日本の古美術を守り、その修復に生涯をささげた木彫家である。この作品は、福岡県太宰府市の観世音寺にある大黒天立像の模刻である。ゆったりした衣服に袴をつけ、大きな袋を背負う姿は後世の福徳神の様相を示してはいるものの、眉間に皺を寄せた鋭い眼光は、大黒天本来の武装神の姿に近い。
ブロンズ、66.2×30.1×45.2cm
安藤は忠犬ハチ公や西郷隆盛像の作者として知られているが、生涯を通じて、本作に見られるような量感あふれる裸婦像を追究し続けた。組んだ腕と脚が緊張感をはらみながらも、全体的に漂うアルカイックな優美さはマイヨールからの影響も大きい。彫刻を「量の塊」として捉えようとした安藤の作風をよく示している。
最終更新日:2020年10月9日
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