更新日:2021年10月4日
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鶴丸城の二ノ丸内の屋形の一角、現在の市立美術館がある場所には、旧市役所がありました。
1929(昭和4)年のある日、当時の第9代樺山可也(かばやまかなり)市長が、市役所の敷地を通りかかった際に、青コケにおおわれた大石があるのに心ひかれ、コケをはらってみると女性の顔が現れました。樺山市長は、風の神さまだと信じ、顔を洗い、チョークでお化粧し、口紅もつけてあげました。これが、この石像への化粧のはじまりだといわれています。
この石像がいつの時代に誰の手で掘られたかは不明ですが、昔から城下の婦女に人気があり、江戸時代に鶴丸城二ノ丸にあったという「持明院様」の石像と結びつけられて、「じめさあ」の像であるといわれるようになりました。
この敷地に美術館ができた1954(昭和29)年から、持明院の命日にあたる10月5日にあわせて市の職員により、石像に絵の具や口紅などを使って、お化粧直しを行っています。
持明院様とは
約400年前の島津家18代当主家久の正夫人。心やさしい人柄が多くの人々から慕われ、今でも鹿児島の方言で「じめさあ」と親しみを込めて呼ばれています。
例年10月5日前後に開催します。
市立美術館前庭(西郷隆盛銅像の裏手)
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