更新日:2023年1月1日
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(この対談は、広報紙「かごしま市民のひろば」第668号(令和5年1月号)に掲載されたものです)
左から鶴田さん、下鶴市長、小野さん
いよいよ今年、かごしま国体・大会が開催されます。同国体・大会での活躍が期待されるお二人と、下鶴市長が対談しました。
【対談者】
市長とちぎ国体・大会でのお二人の素晴らしいご活躍、おめでとうございます。今年の地元開催に向けて、大きな弾みになりましたね。
まずは、お二人の競技生活のスタートから伺いたいと思います。鶴田さんが陸上競技を始められたきっかけは何ですか。
鶴田さん陸上競技を始めたのは小学5年生の時ですが、特にこれといった理由があるわけではなく、いつの間にかクラブチームに入って、陸上を始めていたという感じです。コーチたちにも恵まれて、中学時代もそのままクラブチームで陸上を続けました。
市長そこからどんな気持ちで中学・高校と陸上を続けられたのですか。
鶴田さん中学・高校時代は、ライバルに勝つより、速くなりたい、タイムを縮めたい気持ちが強かったです。大学では、100メートルを11秒台で走るという目標に向け、一心に頑張りました。
市長記録が伸びるときもあれば伸びないときもあると思いますが、心掛けてきたことなどがありますか。
鶴田さん大学時代の2、3年は、なかなか11秒台が出せず、自己ベストも更新できませんでした。やはりその時期はきつかったですが、鹿児島を離れて関東の大学に来たからには、絶対に11秒台を出したいという強い思いがあったからこそ、どうにか乗り越えられたのかなと思っています。
なかなか練習に集中できない時期もありましたが、その時は遠い先を見るのではなくて、その日の練習、その日の1本を、どう走るかというのを心掛けていました。
市長スランプが2、3年続く中でやる気を保つというのは、本当にすごいことだと思います。小野さんはどんなきっかけで水泳競技を始められたんですか。
小野さんきっかけは、右手足のリハビリ代わりとして始めたことです。双子の兄が水泳をしていて、その影響もあって自分も速くなりたいと思って続けてきました。
市長お兄さんの存在が大きかったんですね。二人で同じことに取り組むと、やはり「勝ちたい」という気持ちにもなると思うのですが、実際どうでしたか。
小野さん断然、兄の方が速くて。悔しい気持ちもありつつ、兄は憧れでもありました。
市長その中でも、今に至るまで一生懸命続けられた原動力は何でしょうか。
小野さん兄を含めた家族や周りの人にさまざまな形でサポートしてもらい、続けてこられました。
市長日々の練習での一番の心の支えは何ですか。これがあるから頑張ろうとか。
小野さんやはりきついときに声を掛けてくれる兄の存在が一番です。そのおかげで、結果が出せたと思っています。
市長本当にいい兄弟関係ですね。現在、小野さんは高校生ですので、学業と競技の両立も大変かと思いますがどうですか。
小野さん授業が終わったら部活に行って、部活が終わったらさらにクラブチームに行って、その両立はきつかったですが、それがとちぎ大会での優勝につながったと思います。
市長厳しい練習を継続すること自体、なかなかできないことだと思います。お二人とも心の支えやモチベーションをしっかりとお持ちなのがよく分かりました。それが競技を続ける上での大きな原動力になっているんですね。
市長本市はスポーツを生かしたまちづくりに取り組んでいます。お二人にとって競技も含め、スポーツの魅力とは何だと思いますか。
鶴田さんスポーツを通して出会った人たちが支えになり、私の今があります。スポーツを共通の話題にして盛り上がれるのも魅力ですが、やはり、体を動かすこと自体が楽しく、幸せなことだと思います。
市長スポーツは共通のつながり・話題を作ってくれる、またとないテーマですよね。
小野さん僕は、そのスポーツを詳しく知らない人でも楽しめるところがすごいと思います。最近あったサッカーW杯もですが、たった一つの試合をきっかけに大きく世界が変わります。
市長確かに、たった一つの試合やレースが多くの人の心を揺さぶる、そういうものってなかなかないですよね。懸命に競技に向き合うアスリートの皆さんの姿を通じて、多くの人に感動を与えられるのはスポーツならではの大きな魅力だと思います。
市長大会などで県外に行かれることも多いと思いますが、やっぱり鹿児島のここが好きとか、魅力だと思うところはありますか。
小野さん最近話題になった和牛日本一です。多くの部門で優勝し、すごいなと思いました。
市長農家の皆さんが積み重ねてきた努力が結果を出しましたね。やはり食事がおいしい県というところは大きな魅力ですよね。
鶴田さん県外で食事をする機会もありますが、やはり鹿児島のご飯はとてもおいしくて、いろいろなものがあるなと私も感じます。気軽に温泉に入れるのもいいですね。
また、大学時代に鹿児島の大会に出るために帰ってきた時には、結果が出ていないときでも「応援してるよ」などと励ましの声を掛けてくださって、鹿児島の人たちは本当に温かいなと感じることがありました。それが、大学卒業後に鹿児島に帰ってきたきっかけでもあります。支えてもらった先生や家族を含め、地元の人に恩返しをしたいという気持ちもありますね。
市長鹿児島だったから競技生活に良い影響があったと感じる点はありますか。
鶴田さん陸上を始めたクラブチームは、子どもから大人まで入っていたので、年齢関係なく一緒にスポーツを楽しめたのは良かったと思います。
市長生涯スポーツは重要ですよね。選手の皆さんはもちろん、多くの市民の皆さんが日常生活の中の生きがいとして、また健康づくりとして、スポーツに関われる環境はとても大切だと思っています。
市長いよいよかごしま国体・大会が開催を迎えますが、コロナ下のこれまでの3年間、苦労されたことなどがありますか。
鶴田さん2020年シーズンは特にコロナの影響が大きく、3月以降の大会が軒並み中止になり、ようやく7月に試合ができました。大会出場を目標に冬は懸命に練習したので、シーズン最初から目の前の試合がなくなり、モチベーションを保つのがすごく難しかったです。
市長モチベーションをどうやって維持したんですか。
鶴田さんちょうどその時は調子が良くなかったので、「いつか試合があったときに結果を出せるように、練習するための時間が自分に与えられたんだ」と言い聞かせながら、試合の再開に備えました。
市長ぽっかり空いた時間を、自分にとって意味のある時間としてポジティブに捉えて行動したんですね。とても参考になります。
小野さん僕は、コロナ下で2年間大会がなかったので、どこを目標に定めたらよいのかが分からなくなりました。同じ時期に怪我もしてしまい、思うような泳ぎができなくなりました。どうにかしないといけないと強く思いながら、とちぎ大会に向けて練習を続けました。狙った結果ではなかったですが、納得できる結果が出せたのかなと考えています。
市長怪我が重なりながらも、この試練を乗り越えるんだという粘り強い意思を感じます。
2020年の開催延期から3年を経て開催できる、待ちに待った大会です。鹿児島、そして日本はここから立ち上がれるんだという意気込みを、発信できる大会にしていきたいと思います。お二人をはじめ、アスリートの皆さんの姿を見て勇気を感じてほしいですね。
市長開催地になるのは約50年に1回のことで、前回は1972年。私も生まれていないんです(笑)。当時を経験した方々からはすごい大会だったと聞き、わくわくしています。現役で活躍する選手であるお二人の意気込みを、ぜひお聞かせください。
小野さんとちぎ大会で達成できなかった、25・50メートルでの自己記録・大会記録更新を狙いたいです。地元の皆さんも見てくれると思うので、元気をあげられたらいいなと考えています。
市長いつも支えてくれる人の前で競技できるのも、地元開催ならではですよね。優勝に加え、大会新を出すという、その若さ溢れるギラギラ感でぜひ臨んでほしいと思います。
鶴田さん私は、地元で国体がある時に競技できているのがとてもうれしいです。今までお世話になった人たちの前で走れるのは本当に幸せなことなので、家族や観客、県民の皆さんに、勇気や元気などを伝えられる走りをしたいです。
市長県民の皆さん、特に子どもたちにぜひ見てほしいですね。先日、福岡で世界水泳の開催に向けたトークショーに参加しましたが、今の代表選手は、2001年の福岡の世界水泳や北京五輪を見て憧れ、現在に至っているという話がありました。お二人の姿を見た子どもたちが、「次はあの場所に出るんだ」と希望を抱いて、競技を始めたり、努力を続けたりするきっかけになったらうれしいですね。
鶴田さんシーズンの前半は日本選手権を目標に、後半は国体を目標にして、持ち味の後半の走りを磨きながら、苦手なスタートも強化したいです。
小野さん大学生になり、環境も一変して戸惑うこともあると思いますが、ルーティンを作るなど、大学で水泳をするビジョンを固めて結果を残したいと思います。
市長お二人のご活躍を心から期待しております。かごしま国体・大会は、おそらく、コロナを乗り越えた形で開催する初の国体・大会になると思います。選手の皆さん、市民の皆さんと、両大会が素晴らしいものとなるよう盛り上げ、その熱い思いを結集して、人もまちも躍動する鹿児島市の大きな力にしていきたいと思います。
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