ここから本文です。
大正時代の水道
(1)主要な経緯
大正2年(1913)4月1日
市役所構内に上水道布設調査仮事務所を開設
大正2年(1913)7月22日
近代水道布設のための上水道調査委員会設置
大正2年(1913)8月10日
「鹿児島市飲水水道条例」を「鹿児島市水道使用条例」に改める。
→新しい水道布設計画を実施するのに財源が必要となり、これに伴い新しい条例を制定
大正2年(1913)9月10日
近代水道布設計画認可申請
大正4年(1915)3月30日
近代水道布設計画認可
大正4年(1915)4月1日
鹿児島市水道事務所を開設
大正4年(1915)9月18日
上之原配水池予定地で水道布設工事の起工式
大正5年(1916)1月15日
山下町(現裁判所付近)に鉄管検査所を開設
鉄管検査所(水圧試験場)
大正8年(1919)10月10日
七窪水源地~上之原配水池間と配水池~市内配水管の通水試験
<通水試験の様子>
第4号隧道の中の水路に集合し、半蔵谷より通水来れる実況を視察した。午前11時22分通水は明ケ窟の第3号隧道に入るとの第2報あり、同11時52分に至り水源地より来たれる水は1秒3尺8寸(1.15m)の滔々(とうとう)たる水力を以て長さ9町の第4隧道の水路を流れて「碧泉通大正8年10月市長山本徳次郎」と刻せる額面を掲げる隧道口に達し、そこに形勢如何と固唾(かたず)を呑んで待ち構えたる市理事者一行諸氏は、拍手喝采を以てその通水を迎え、かくてその通水は午后0時10分を以て無事上之原配水池に達した。さらに午後2時過ぎ朝日通り警察署前の消火栓を開くと水柱は警察署火の見櫓の上に達したという。「当時の鹿児島新聞」から
大正8年(1919)11月26日
上之原配水池で通水式、本市に近代水道が誕生
水道通水式会場
大正11年(1922)4月3日
上之原配水池で水道記念碑除幕式
上水道記念碑除幕式
(2)水道施設の築造
明治39年に完成した冷水水道は、施設が小規模であるうえに給水区域も市街地のごく一部に限定されていたため、市勢の発展と人口の増加による水需要の増大に応じ得るものではなかった。用水の需要増大と相まって、たまたま市内に伝染病が大流行し、火災も頻発したため、防疫、防火上大規模水道建設の必要性が叫ばれ、当時の有川市長は、明治45年度予算編成に当たり2か年の継続事業費をもって水道建設を試み、市議会もこれを可決したものの、計画水源が水量水質面で適当でなかったため、この計画は一時中止となった。しかしその後、七窪水源の買収交渉が円満に解決し明治45年3月これを買収し、大正2年2月市会において臨時水道調査費の支出が可決され、いよいよ本市の近代水道創設の道が開かれた。
創設工事は、中島鋭治工学博士を顧問として計画設計を行い、工事長に堀江勝巳技師を招いて大正4年9月上之原配水池予定地で起工した。第1次世界大戦勃発による物価の高騰、予算の膨張や資材の入手難のほか、施工面では隧道工事の難関があったが、大正8年11月には一部通水を開始し、同年11月26日上之原配水池において通水式が挙行された。
七窪水源地内の施設
- 第1集水桝(第1水源) 縦約1.8m 横約1.5m 深さ約2.0m 底部:コンクリート打ち 側壁:石積
- 第2集水桝(第2水源) 縦約1.2m 横約0.9m 深さ約2.2m 上記に同じ
- 第3集水桝(第3水源) 縦約1.5m 横約1.5m 深さ約1.8m 底部:岩石を桝形に掘削 側壁:コンクリ-ト張
集水渠
岩山のすそ一面から湧水していたので、岩山の中腹に沿い幅約0.9m、深さは粘土層に達するまで溝渠を開削し、溝の両面垂直に、湧水側は岩石のままとし、外側は厚さ21cmのコンクリートで張り立てる。溝上部は、雨水浸入防止のため、鉄筋コンクリートの蓋でおおう。
七窪水源地集水渠築造工事
- 第1接合桝 縦約2.1m 横約2.1m 深さ約3.3mのコンクリート造りで、上部は石造上屋を設ける。
- 集水池 縦約7.3m 横約7.3m 深さ約2.1mのコンクリート造りで、側壁表面は張り石とする。
集水隧道及び送水隧道
集水隧道(水源地内の隧道)
- 第1号:約30.6m
- 第2号:約279.2m
送水隧道(集水池から上之原配水池まで)
- 第1号:約400.2m
- 第2号:約327.5m
- 第3号:約675.6m
- 第4号:約968.0m
各送水隧道間の連絡は、内径約0.4mの鋳鉄管を使用し、各送水隧道への出入り用として人孔が設けられた。また、第4号送水隧道下口には長径約4.2m、短径約2.1mの楕円形で、構造がコンクリート造りの第2接合桝が設けられた。
第三号隧道工事
第三号隧道陥没か所
工事中の第4号送水隧道坑門及び第2接合桝
配水池
上之原配水池は、中間壁によって2つの池に分かれている。各池とも、縦約23.9m、横約28.9m、深さ約4.2mで有効容量は2つ合計で約5,318立方メートルである。コンクリート構造で、側壁に限り硅藻土を混入している。また、35.56cmの送水管により両池に入り、45.72cmの鋳鉄管で市内に配水された。
工事中の上之原配水池(1)
工事中の上之原配水池(2)
工事中の上之原配水池(3)
上之原配水池
ベンチュリ-メ-タ-室
(配水量測定用)
市内配水管布設工事
西田橋鉄管添架工事
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください